少し原稿を書く木曜日

8:00

おはようございます。本日は少しだけ原稿作業を。

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Obsidian:

昨日作ったダッシュボードを改造します。

昨日作ったダッシュボードは以下。

ObsidianのCanvansでダッシュボードをつくる - 倉下忠憲の発想工房

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Canvasだと使い勝手が悪い部分があるので、ここに配置してあるパーツをすべて個別ウィンドウで開いたらどうかと思ってやってみましたが、邪魔なだけでした。

やはりデイリーだけ別のウィンドで開くのがいいかな。

デジタルノート研究会:

メンバー限定記事を書きましょう。

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書きました。

ObsidianのCanvasでデスクトップをエミュレート | メンバー限定記事 - by 倉下忠憲@rashita2

9:00

メルマガ:

三つ目の原稿を書きましょう。

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3400文字の原稿を書きました。

10:00

Obsidian:

デイリーをCanvasの中に入れるか、外に出すかを考えていましたが、どっちにあってもいいのでは?と思い至りました。

「どちらかに置かなければならない」という冗長性の排除は、デジタル的な思想ではないですね。

14:00

ブックカタリスト:

準備メモ作業を続けます。

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だいたいできました。

ブックカタリストBC115用メモ - 倉下忠憲の発想工房

15:00

一日一英文:

Giotto is credited with sowing the seeds of the Italian Renaissance.

16:00

環読プロジェクト:

ひさびさに続きを読みます。

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「ユーモア」という情動。

しかし大人になってからのユーモアの感覚に伴う解放感は、思考がある種の「検閲」を、私たちも往々にして気づかずにいた習慣や道徳や自己尊重の障壁を貫いて迸り出るという事実と密接につながっている。

実際のところ、ユーモアに彩られたあらゆる〈予兆〉を敏感に察せることは、作家であれ組織者であれ教師であれ、人間を相手にしなければならない思索家にとってはきわめて貴重な技術だ。人間はもともと半社交的な種で、忠実さや謹厳さもはや本来の有益さを失ったときにも、そうした価値に従おうとしがちである。この性質からも生まれる人間の本能や習慣にも、彼ら思索家たちは向き合わなくてはならない。

私たちは概してユーモアに必要なのは、生まれ持った能力と、自由に語り自由に考える友人グループの組み合わせであると思いがちだ。しかしいかなるユーモリストも自らのユーモアの感覚を育むには、またそれ以上に中年を過ぎてもその感覚を持ち続けるには、自分の中でちょっとした勇敢な行為を長く続けていくことが必要になる。W・K・クリフォード氏の言う、「くだらないことを囁くごく小さな声」が自分の中にあるのに気づくだけでなく、やはり自分の中でそれを黙らせようとする力に逆らって口に出すように言い聞かせなければならない。やってくるすべての〈予兆〉を、自らの勇気を試すようにユーモアで彩って扱う習慣を持たなくてはならないのだ。

だが、思考における他のあらゆる要素と同様に、ユーモアの感覚を効果的に用いるためには、機械的に画一的なルールに従うのではなく、さまざまな技法を繊細に操ることが求められる。

19:00

ChatGPTとZettelkastenについての対話 - 倉下忠憲の発想工房