メルマガを仕上げる土曜日

10:00

おはようございます。本日はメルマガを仕上げます。

一週間の振り返り:

ツイートを読み返します。

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publish:ツイートノート:2022年03月19日までのツイートノート - Addless Letter

11:00

メルマガ:

縮小版の「はじめに」を書いておきましょう。

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「はじめに」と「おわりに」を書きました。

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続いて、原稿の読み返しを。

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OKです。

12:00

メルマガ:

配信予約を行います。

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終わりました。一段落です。

16:00

研究ノートについての研究:

たとえば、以下のようなメモがある。

ある程度、本を読んでいると一冊だけで本を読むということは少なくなっていく。それは、並行して複数の本を読み進めるということだけでなく、ある関係性の中で一冊の本を捉えながら読むことも意味する。

これをどのように扱うのか。

文脈付けで言えば、これは「読書について」の話題でもあるし、情報のネットワークの話題でもある。さらに言えば、断片からの創造のインプット部門を担当するような内容でもある。このような多義性の中にあるメモ。これをどう扱うか。

役割がはじめから決まっているならば、そこに位置づけで文章的膨らませを行えばいい。そしてまさにその文章的膨らませは、その位置づけ・文脈付けの方向性において行われる。逆に言えば、そうした文脈が不在している状態では、文章的膨らませはなかなか難しい。

自然に任せる?

という手は一応あるか。そのとき、自分が率直にその文章について続けたいものを優先する。というやり方。自発的文脈。

ルーマンのカード法においても、結局この文脈付けが大きい問題となる。

「よし、読書についてのメモを集めよう」という野心がアプリオリにあるならば、話はもっとずっと簡単である。しかし、まずメモがある。文脈はその後からついてくる。そういうときにどうすればいいのか。

Scrapboxであれば、とりあえず上記を書いておき、それを漂うに任せる、という形になるだろう。それも一つの方法だと思う。すべての着想メモを等しく文章化していくのは時間的に不可能だから、そのような「揺蕩わせる」アプローチは不可欠と言えるだろう。

しかし、そればかりでは、いつまでたってもアウトプットは生まれてこない、気もする。

どうなのだろうか。

定期的にアウトプットする、という目標。こういうターム設定によって、生成されるアウトプットは当然異なってくる。

一年に一〜二冊知的生産の技術系の本を出す、という目標を決めておくならば、先ほどのメモは「読書について」のメモとして位置づけられるだろう。これが一番割り切ったパターンである。ただ、そればかりだと小さい仕事ばかりになってしまう気もする。

あるいは、メルマガの一記事として展開してもいいが、結局集まるメモの数が多すぎて、扱いきれない問題は残るだろう。このへんが、あいかわらず決まった答えが見つからない。