SF小説を書き進める月曜日

8:00

おはようございます

締め切りが近づいておりますので、本日はSF小説を2ブロックほど進めたいと思います。あとは、Substackの配信ですが、これは「できたら」でいいでしょうか。

提出する企画案もそろそろまとめておきたいところです。

モーニング・コーディング

原本ファイルの冒頭に日付を入れるようにしました。具体的には以下の変更。

「SF小説を書き進める月曜日」 「2020-10-19:SF小説を書き進める月曜日」

コードはこんな感じ。

1
2
tbody = '''{0}:{1}
'''.format(td.strftime("%Y-%m-%d"),ds)

あと、原本ファイルをVS Codeで開いたときに、カーソルを2行目に移動するようにしました。

1
vscode = 'Code -g ' + fpath + ':2'

これでぐっと快適です。

どうせ毎回書くのだから、時間を記述した見出しを入れてもいいですが、その辺は自分で書き込むことに意義があるような気もします。

これで、原本ファイルの作成まわりはだいたい整いましたね。次は原本ファイルから共有ページの変換まわりのいろいろです。

Hugoで記事が表示されない

今日の作業記録をアップして、さてWebブラウザでチェックしようかと思ったら、なぜか記事が表示されない。

GitHubにはプッシュできているし、Netliftyもエラー無く走っている。

いろいろ試した結果、メタ情報のtitle:~がtitle:“~"になっていなかったのが失敗の模様。

結構時間を食われましたが、とりあえず解決したのでよしとしましょう。

あとで読む

9:00

SOを進めます

ブロック06から。

* * *

1600字ほど書きました。

トータルで7000字ほど。

ほぼ中核部分にさしかかりました。あとは、ここから終わりに向かって進んでいくだけです。

10:00

NL

「自分」ということについて。そして、現代の情報環境について。

iTunesストアで曲を買いました

11:00

妻の昼食準備など

12:00

正解信仰

「正解」は、それが作られる環境の中での一番最適な選択に過ぎない。その環境を一歩でも出れば、「正解」は有用性を失う。

ある特殊な環境下でしか生存できない生物のようなものだ。

にも関わらず、「正解」を正しいこと、真理なことと認識してしまう傾向があるのは、日本の学校教育のたまものなのだろうか。それとも、プラトン・トラップなのだろうか。

『鬼滅の刃』考察

『鬼滅の刃』が大ヒットしている。もちろん、作品としても面白いが、ここまでのヒットを支えるものは何だろうか。逆に言えば、最近のヒット作が、ここまで大きなヒットにならないのはなぜか。

大きな要素は、そのストレートな構造だろう。それだけを独自に摂取しても楽しめる。

一方、最近の作品は二階建てバスになっているものが多い。たとえばなろう系は、ファンタジー風のRPGで遊んでいる人にとっては常識的な要素で構成されるが、それ以外の人間にとっては、ややわかりにくい形になっている。小学生などは、当然「それ以外の人間」であるし、マスで観たときにはそういう人たちの方が人口は大きいだろう。

そう考えると、ドラゴンボールが子供に根強い人気を誇っているのも理解できる。ブウ編以降、少し込み入ったテーマ性が持ち込まれることはあるが、知識の前提を必要としない単純な構造であることは間違いない。強い敵が出てきて、悟空がそれを倒す。以上。

その再帰的な繰り返しによって、どんどん主人公がパワーインフレを起こすわけだが、それはデメリットであるというよりも、再帰的な性質から言って、「どこを切り取っても、同じような物語」という摂取者に優しい構造になっている。それが、マスの(特に物語入門者の)需要を支えているのだろう。

13:00

SOを続けます

ブロック07に着手します。

* * *

1時間で1200字ほど書いて、トータルは8500字。

14:00

少し休憩します。

15:00

SOを進めます

ブロック08に着手します。イメージではラストのブロックです。

* * *

1100字ほど書いて、全体が9800字ほどに。

とりあえず、終わりまで書けました。まだラフオブラフなので、ここからの直しが大量に必要ですが、とりあえず終わらせられるめどは付きました。

16:00

やってきたことの合流

今やっていることについて考えている。

今年から、こうして作業記録を共有するようになった。

でもって、今年から情報の扱いをテキストファイルベースに移行するようになった。

でもって、今はテキストファイルで作業記録を書き、そして共有している。

その共有も少し前に勉強したHugoを使って行っている。

これまで分散的に行ってきたこと、学んできたことがこの地点で合流している。そんな印象を受ける。

17:00

コインランドリー

に行って、待ち時間に『退屈なことはPythonにやらせよう』を読んでいました。待ち時間に最適、かどうかはわかりませんが、なかなか読書が捗りました。

20:00

家事周りを片づけます

fragment:迷ったら階層を上る

何のためにそれをやろうとしているのかを考え、その目的に手段が合致しているのかを検討する。でないと、「手段」ばかりに意識が向いて、目的との整合性を失ってしまう。

たとえば、PVが欲しいとして、なんのためにPVが欲しいのかを考える。でないと、PVを獲得するためにせっせと行っていることが、最終的な目的のまったく逆に向かわせていることが起こりうる。

fragment:『人生で大切なことはすべて麻雀から学んだ』

麻雀でたとえると、配牌だけ見て勝っただの負けだのを言っている風な言説を見かけると、そーじゃないよね、という気持ちが湧いてくる。

もちろん配牌の良し悪しは大きなファクターだけども、それをどうこう言っても始まらないわけで、場所と手牌を見ながら、できることを地道に続けていくしかないんじゃないか、と感じる。

よく、「配られた手札で勝負するしかない」という言い方があるが、ポーカーですら手札のチェンジがあるし、麻雀なら一順に一枚入れ替えていける。人生の比喩としてはそちらが近しいのではないか。

fragment:必要なのは目的地ではなく進み方

「この場所がゴールですよ」と他の人が指し示すのはおせっかいでしかない。

それは「どこも目指す必要がないんですよ」という言説ですら同じなのだ。

必要なのは、どこを目指すのかという言説ではない。そこに向かうための「進み方」である。つまり、地図を持ち、食料を準備し、方角を確認して、ときどき休憩しながら進んでいきましょう、というようなごくありきたりな「ノウハウ」なのだ。

それが欠落した状態でゴールを示されたら、人は進み方がわからないのだから、むしろ不安や不満をため込んでしまうだろう。

fragment:プロットの役割

個人的には、プロットというのは建設現場における足場とか、あさがおを育てるときの支柱のようなもので、それがなくたって生み出すことはできる。ただし、形が整っていないことは十分ありえる、というだけで。

NL

今目次案を作る必要があるけれども、できるだけ「目次らしい目次案」を作らないように努めている。うまくいくかはわからないけども、そうしないとやっぱり「この目次案では書けない」となってしまいそうなので。特に最近は。

21:00

本日の振り返り

本日は、SFの原稿の第0稿が書き上がりました。

完成にはほど遠いですが、とりあえずこれをブラッシュアップしていけば提出できるものになります。とりあえずは、一安心。

あとは、今週インタビューを受けるのでその準備を進めるのと、目次案の構成を進めることですね。『僕らの生存戦略』はそれが終わってからということになりそうです。なかなかゆっくりとしか進みませんね。

というわけで、本日はそろそろ閉店がらがらです。

お疲れさまでした。仕事終わりの妻を迎えに行ってきます。