メルマガを書く土曜日

9:00

おはようございます。

Image from Gyazo

今日は朝から雨が降っていて、ずいぶん寒いですね。

とりあえず、土曜日なのでメルマガを書き上げたいと思います。

あと、夜からBeckさんとのポッドキャスト予定です。

モーニング・コーディング

GitHubにアップロードするためのスクリプトがあり、毎日そのスクリプト内の「アップロードしたいファイル」を書き換えていたのですが、さすがに手間になってきたので、その日の日付からファイル名を自動的に設定する、に変えました。

逆に言うと、その日付けでアップロードできるのはその日のファイルだけ、となりますね。深夜0時付近は、まだ「その日」に加えてもよいかなと思いますが、まあ、その時は自分でターミナルを叩けばいいので、一応無視しておきましょう。

あと、今日の作業記録ファイルを作成したときに、VS Codeでそのファイルを開いて欲しいので、その機能を追加したいところ。

加えて、日付からファイル名を作成する機能が、朝のファイル作成とGitHubへのpushの両方で使われているので、おそらくは別でpyファイルを作って、それをインポートする形にしておくのが良いのでしょう。でないと、片方を書き換えたときに、もう片方を書き換えわすれるとファイル名の整合性が崩れてしまうので。

とりあえず、その二つが次なるタスクですかね。

TODO:作業記録ファイルを作成後VS Codeで開く(ターミナルコマンド) TODO:日付からファイル名を取得する機能をインポートできる関数にしておく

メルマガのテーマ

さて、来週号は何を書きましょうか。前回の振り返りと、ネタの思い出しから始めます。

あとで読む

10:00

妻の朝食準備など

11:00

fragment:挫折の象徴としての分厚い参考書

「新しい参考書を買うぞ!」という気持ちのときは、いかにも分厚いものを選びがちだけど、そういうときほど薄いものを選んだ方が吉。

ある意味、自発的に選ばられる分厚い参考書は挫折の象徴と言えるかもしれない。決意段階の意欲の高さの表れが、実行段階での障害となる。

fragment:剣と魔法のファンタジー

「剣と魔法のファンタジー」は、それ自身探究したら面白そうなテーマではある。物理的、ないし切断の象徴としての剣と、記号的、ないし心象の統合としての魔法。

12:00

メルマガ前半を書きます

まずはアイデア周りのお話から。

* * *

30分で2000字ほど書きましたが、まだ半分くらいしか書けていないので、同じ話を続けます。

* * *

さらに30分で2000字ほど書いて、4000字ほどとなりました。なんだかんだで、最近一つ目の原稿がやたら長いですが、そういう試みの最中(少し長めの文章を書く)なので気にしないでいきましょう。

13:00

本を買いました

『記憶のデザイン (筑摩選書) 』(山本貴光,筑摩書房) Image from Gyazo

お昼はキツネうどん

14:00

メルマガ前半続けます

* * *

1200字ほど。この原稿はあとちょっと。

15:00

休憩という名の仮眠

16:00

メルマガ前半続けます

あと少しを書き上げます。

* * *

30分ほどで、2600字ほど書きました。

これで全体は7000文字ほど。結構ながくなってしまいましたね。

* * *

30分ほどで2300字ほど書きました。これでもうほとんど埋まってしまいました。

17:00

メルマガ「はじめに」

ネタ探しのために一週間分のツイートを振り返ります

* * *

ツイートを振り返りと、ピックアップしていなかったツイートを発見できるので、以下にまとめておきます。

fragment:執筆はアウトプットではない

自分には書けないものを書こうとする努力は無謀だけども、結果的に自分には書けないものが書けた、ということはある。

それは、「書く」という行為が、動作であるこち以上に動的なものだからだろう。

でもって、その話は「読書はインプットではない」という話と対になっている。執筆はアウトプットではない。

fragment:自分というイデオロギー

思い込みが激しい場合、自己評価と見ず知らずの他人からの評価は同じくらいあてにならなかったりする。

人間は、長い間すごく変わらない部分もあるし、結構あっさりと変わってしまう部分もある。でも自分では(あるいはその時点では)どれがその部分なのかはわからない。しかし、思い込みが激しいと「これは自分であり、絶対に未来永劫変わらないものだ」となってしまい、自己成就につながる。

そういう意味でも、記録って役立つ。言い換えれば、時間の尺度を(あるいは思考の枠組みを)長くとれるようになる。思い込みの激しさは、瞬間的思考としても立ち現れるので。

あらかじめ結論が決まっているという意味ではイデオロギー的ではあるな。自分というイデオロギー。

形成されている自己認識を通して、事象が認識されるので(そしてそこに自分も含まれるので)、高い確率で自己成就に至ってしまう。たとえば、自分がダメだと思っている人はあらゆる認知が「自分がダメ」を肯定するものとして構成される。だから抜け出せない。自分という檻。

で、それを打破できるものは(悟りの境地でなければ)、他者性であろう。他社性の導入。門を開く。間を作る。「自分」をカッコに入れること。でもそれはたぶんちょっと危険なことではある。世界の破壊を多少は含む。

fragment:新しいノウハウ書の前提

『独学大全』でもダメな人間が前提になっているし、『教養の書』ではイドラとして人間の知的な弱点が論じられている。拙著『「やること地獄」を終わらせるタスク管理「超」入門』でも、できるビジネスパーソンとはほど遠い人間像をイメージしている。

当人のセルフイメージを心地よく磨き上げるのではなく、ダメな自分からスタートする。でもって、そのためには「やる気」などに頼るのではなく、仕組みや装置やシステムを工夫することにある。なんといっても、ダメな自分がある日突然できる自分になるわけではないのだから。

で、そうした展開は、『ファスト&スロー』以降に注目されてきた、合理的な「経済人」というモデルの破棄であり、それがいわゆるビジネス書でも基礎になりつつある、という理解をいまのところしている。

それは、マクロでは有効かもしれない経済学と、個人の行動の観察に役立つ行動経済学の違いであるように、個人のノウハウでは、(あえて名付ければ)行動仕事学的な視点がプラグマティックには有用なのだろう。プラグマティックではなく、ファンタジーなら話は別だけども。

20:00

メルマガの「はじめに」を着々と書いております

21時からポッドキャストの予定なので、ぎりぎりまで書き進めます。

21:00

ポッドキャストの収録はなさそうです

というわけでメルマガの「はじめに」を仕上げました